2006-11-15 第165回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第3号
ただ、将来的に中国は、例えば中産階級が社会の主流になる場合、あるいは法による支配という枠組みがある程度できつつあるという場合、あるいは市場経済、特に国営企業の民営化がある程度決着が付けられるという場合は、市民社会の力で、民衆側の力で民主化を、軟着陸を、何というかな、つくり上げていくということが望ましいではないかと思います。
ただ、将来的に中国は、例えば中産階級が社会の主流になる場合、あるいは法による支配という枠組みがある程度できつつあるという場合、あるいは市場経済、特に国営企業の民営化がある程度決着が付けられるという場合は、市民社会の力で、民衆側の力で民主化を、軟着陸を、何というかな、つくり上げていくということが望ましいではないかと思います。
民衆のレベルにおきましては、アメリカが反テロあるいはサダム・フセインがけしからぬということでしかけた戦争だとしても、アラブの民衆側は、それが一番大事な問題ではない。もちろん、自分たちの生活の問題もありますけれども、より身近にあるのは中東和平の問題であったり、違う関心を持っている。その人たちに、アメリカが不正義をしたというふうに大衆がもし感じたとすれば、それは大きな流れになってくる。
余り民衆側、宗教側に目を向ければ、イランのような形で西欧社会からボイコットを食らうと、逆に、西欧的な、国連や何かの言う国際法その他を遵守した形でいけば、これは政権が民衆から見放されると。そのバランスをいかに苦労して取るか、それを表面的にいかに取り繕うかと、悪い言葉ですけれども、そこに彼ら、現在のイスラム国家の指導者の苦悩があるのではないかなというのを感じた次第でございます。
○矢田部理君 個別論議をする時間的余裕はありませんが、私どもの方に伝えられている在野筋の意向とか民衆側の意見というのは、どうもやっぱり今度のミニマーシャルプランにはフィリピンの主体的な計画とか意思決定が十分でない、むしろ実質的には参画していない、それからいろんな金額が取りざたされているが、そんな多額な資金を今受け入れるような情勢にないと。
歴史的に重要な意義を持つものでも、民衆側の史料を軽視する傾向がございます。これは、戦前の天皇中心主義的な歴史観が、いまでも根強く残っているように思われるのでございます。 たとえば、江戸時代の村方、つまり庄屋の家に残こされた残存文書は、恐らく何千万点に達するだろうと思います。そして、日本は世界で有数の古文書を所有している国でございますが、この保存体制が全くできておりません。
このように、日本政府の従来までの発言は、韓国の上層部の意見と韓国の民衆側の意見とを分けて対比するならば、民衆側の意見を無視した発言であったかと思うわけでありまして、その意味で、総理の見解はある意味で韓国情勢に対し非常に刺激的であったことは事実であります。
その場合に、国民側よりもはるかに高所に立っておる国家権力が、これと対等の立場におって、民衆側に行き過ぎがあるからこれに対しては同じく実力をもって鎮圧するという態度に出ることは、はなはだこれは政治としてまずいものではないかと思うのであります。
ただいま御指摘のように、最近各地におきまして理髪料金がいろいろ問題を起しまして、業界に混乱を来し、またそれに伴いまして民衆側も若干の迷惑を来しておるようでございます。
そこで一方民衆側にとつてみますと、警察官がどんなものを持ち出して来るか予測ができないという状態は好ましくないと思いますから、重ねて私はそういうことは、どういう種類のものを警察官が使うであろうかということを、あらかじめ国民が知つておく必要があろうと思うのでありまして、それを法律に定めておいて、国会の同意なしにはそれをむやみに拡張できないという状態が好ましいと思うわけであります。
○山田節男君 今の見解が非常にあいまいなんですが、そこで私は、民衆駅が数が多くなればなるほど、国鉄と民衆側との権利関係が複雑になつて来て、そうして而も年数がたてばたつほどこれは複雑な問題を惹起すると思うのです。現在でもすでに起きておる。
関東大震災の時代、或いはメーデーの予想される騒擾に当りまして、警察側の責任者があらかじめ依頼をしたからといつて、その場の、その当日その実況の下に行われた民衆側の援助、これによりこうむつた災害が全部この法案で救われるというのは余りにも包括的である、広過ぎるものであろうと思うのであります。
ただいま一点は、この法案の趣旨は、援助を警察官が求めた場合に、民衆側が何ら、この援助の求めに応じてそれを助けなければならないという義務を負つておるわけでは全然ないのであります。危なつかしいことに何も手を出さなければならない義務があるわけではございません。
民衆側の心持は、こういうことをやらなければ現在の日本の情勢というものは解決がつかぬということを納得する情勢にあるか、特審局においては民心をどういうように把握しておるか、こういうことをお尋ねしておる。
つておるのでありまするが、その間におきまして、国家地方警察方面におきましても、又自治体警察方面におきましても、これを維持するところの地方公共団体自身におきましても、或いは国家地方警察或いは自治体警察間におけるところの権限の行使の関係におきましても、世間からいろいろなところの御要望がございまして、実施して見たところが相当の欠陷があることが指摘されまして、これを警察を運営して行く側からも、これを受けるところの民衆側
民衆側においても今度はやはりああいう馬鹿な革命騒動をやれば、結局とどのつまりはこんなものだということで、檢挙によつて大いに力を得つつある。漸くいわば安心を取戻しておる。警察に対する信頼、國家制度に対する信頼というものを信じて來たらしい。
その点では便利になつた方面だけは数えられますが、不便になつたということを別に民衆側として感ぜられません。適当であると思います。但し取締りその他の経費で、地方の役場等から請求される費用がはたして國の方では地方自治團体に與えてあるかないか、その点はわかりませんが、その点が解決ができておれば、投票区は小ならば小なるほど、けつこうだ、現行法において可なりと考えます。
それから又民衆側におきましても、あれは我々の公僕なんだ、警察は公僕なんだというようなことで、若い巡査に対しまして、今日は俺の家に酒があるんだ、肴もあるから飲みに來ないか、職務が済んだら飲みに來ないか、よし、行こうと言つて飲むというようなことが頻々として行われたのであります。そうするとこれは又一方から見ますれば、自治体警察の署長初め署員は実にだらしがない。